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2013年12月 9日 (月)

華王開敷

一昨日は師僧の本山宗務総長就任祝賀会で大阪へ。
必ずしも就任は師僧の望むところでなかったようだが、その誉れ高き人徳による必然的ともいえる順当な道行きに、本会合の発起人様の功あって130人程が集い祝った。

ただでさえ御自坊においても休む暇なく動かれていた師僧であるから、難局の時期といえる宗門内で実質宗務全般を担うことの労を思うと、御法体をおいとわれるよう願うきもちだ。

会合では久しくお会いできないでいた方々とお話ができて、また新たに同門に加わった方々とも知己を得て実のある一時を過ごさせて頂いた。
僭越ながら徒弟として栄えある寺門興隆を甚だ喜ばしく思う。

「華王開敷 念ずれば華開く 何卒 貴家の華の咲き誇らんことを」 
師僧直筆による土産物には以上のような温かい言葉が添えられていた。

通常は開敷華王と称される胎蔵界五智如来の働きを表わすものであるが、敢えて順序が逆に示されているのは、人間一人一人の存在そのものが種子であり華を咲かすことができるという主体性や自発性を強調し、その自覚を促してのことかもしれない。

開敷華王如来とは、種子がやがて花を咲かせるように、修行によって功徳の華が満開し福聚となるという意味で菩提心の種子が成育し満開した姿を表す。
またその印相は一切の魔を寄せつけないことを表わす。

いのちを生かしきれ 
与えられたその生を自利利他の為に十全に開花せよ

と師僧の投げかける言葉はいつも生きた言葉で、思い遣りと励ましの肯定的生命観に満ちている。
常日頃その存在の厳しさと温かさを思い出すだけで、背筋がしゃんとししつつも大らかで穏やかなきもちになれる。

世に僧侶は数多居れどもこのような師僧にはなかなか出逢えないだろう。
初めてお会いした時からこの僥倖の思いは全く揺らがない。
門弟であることを誇りに思う。

合掌

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